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金肥(きんぴ)・ポーマン
2019.07.10
いわしを干した干鰯(ほしか)は、魚肥として戦国時代より近代にいたるまで使用される。農家は干鰯を購入したので、金肥(きんぴ)とも言われる。干鰯の産地は、江戸時代初期は九州、四国であったが、中期以降は房総、三陸でも生産され、特に九十九里の干鰯生産量は多大だったようである。
ポーマンは、現在富山で製造しているが、50年前は九十九里浜の近く銚子で製造していたのである。豊富なイワシが手に入ったからである。
現在、富山湾で上がる新鮮ないわしを使っている金肥・ポーマン。